一度も渓に行かないうちに禁漁期に突入(淋)。

9月20日、今年は一度も渓流にいかないまま禁漁を迎えてしまいました。

3月の解禁を控えて、ラインを用意し、下手ながら自前でフライを巻いたり…、それなりに準備はしていたのですが、あいにくどこにも行くことはできませんでした。

そこで、というわけでもないのですが、昨夜からしみじみと1冊の本を読んでいます。

negishibookつり人ノベルズ・根岸治美「さすらいの山釣り」。

著者の根岸さんは群馬在住の方のようで、主に北群馬の渓流の様子が書かれていて、なじみのある川の名前が時たま出てきて嬉しくなります。

根岸さんは、中流や山里の釣りではなく、山奥にネイティブなイワナを求める「源流派」のようで、苦しい思いをしながら山の奥へ奥へ…という釣りをされています。

その中の一節にこんなくだりがありました。

「私はみずからを鞭打って、なおも奥へ奥へと釣り登っていいった。
それでも、立ち往生して動けなくなった岩場で、アカモノの実やイワギキョウの優美な姿に出会ったときは嬉しい。孤立を余儀なくされているので、植物の生態がたっぷり観察できるからである。湿った岩の土くれにしがみついて、彼女たちは自分の宿命を知ることもなく、歓喜の歌をうたっている。アカモノは、そのちっぽけな小枝をよせ合って、真紅の実をじっと守っているが、やがてコゲラやヒゲラたちに啄まれてしまうことだろう。しかしこのイワギキョウはそうした憂いもないらしく、自分の存在を誇らしげに宣言している。」

一読した時、優しく自然を見守る筆者の眼と、情景を素直に書き写す表現力に感心してしまいました。

自分はいったいいくつになったらこんな文章が書けるようになるのか?
おそらく一生書けないと思いますが。

山の文学というと、代表的には井伏鱒二になるのでしょうが、また漫画ならつげ義春の作品に出ている釣り人のことがすぐ思い浮かびますが、この根岸さんの作品のように、一般には知られてなくても素晴らしいものがあるんだな、と改めて感じ入った次第です。

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