遠き記憶、近い記憶。健一郎先生これはどういうことなんですか?

忘年会も無事終わり(といっても飲みすぎて家に帰らず高崎市内のBHどまりだったが)、久しぶりの日本酒痛飲のなごりの二日酔いが、午前中いっぱい頭の中をグルグル。

とりあえず、忘年会の会場となった事務所の片づけをして、午後自宅へ。

その後、BSやら地上波でサッカーの試合をいくつか見て、時を過ごす。
東日本大震災のチャリティマッチの中で鹿島の小笠原君が長いコメントをしていた。
不器用でかっこつけることはできなくても、被災地のことを真摯に思うこの人の人柄がひしひしと伝わってきて少しばかり感動。
前から、小笠原君はフェイバリットなサッカー選手なのです。

夕方になると二日酔い明けでも酒を飲まないわけにいかないので、冷蔵庫の余りモノで数品のつまみを作り、これも昨夜の忘年会で残った一ノ蔵などを飲む。

なんとなくいつもと違うせいか、お酒を飲んでもすぐバタンキューといかない。
仕方ないので、普段入らない時刻(夜の9時)に風呂に入ってみた。
いつもは酒を飲んでそのまま寝入り、深夜~朝方に目覚め、すっきりとした頭で風呂で読書するのが日課なので勝手が違う。

本を読む気にもなれないので、「久しぶりに歌でも歌うか!」という気分。

最近は、まず一曲目は竹内マリヤの「駅」を歌う。理由はこれといってないが。
つずいて「琵琶湖周航の歌」とか「人を恋うる歌」とかの昔日路線の歌を数曲うたい、この関係は「白虎隊」で終わる。いい加減な節回しでも「みなみ鶴ヶ城を望めば…」の詩吟の部分も、適当に自己流で唸る。

続いて、高橋真梨子とか石原裕次郎さんとか、鈴木雅之とか、とりあえず頭に浮かんでくる歌をたくさん歌い、最後はやしきたかじんの「東京」で締めとりあえず風呂から出る。

それにしても、それらの歌はカラオケなどで何回も歌ったことがあるはずなのに、ほとんどの歌詞が部分的に思い出せない。
かろうじて1番を歌えても2番の歌詞はところどころスキャットになってしまう。頭の中にある記憶のメモリが、あちこち断片化しているようですぐに出てこないのだ。

これはいったいどうしたことか!

記憶というものが年齢とともに衰え、新しく何かを覚えることができずに覚えていたはずの古い記憶も日々ぼろぼろと欠けていく! 行き着く先はいわゆる「認知症」! —–それは自然の摂理で仕方ないことだとは思うのだが…。

昔から、魚が好きで、中でも頭の肉や目玉周りのコラーゲン状の部分が大好物なので、ドコサヘキサエンサンとかEHA(?)とか、頭にいいといわれる栄養素はたくさん摂取してきたはずなのだが!

短期記憶が難しくなっているばかりか、長期記憶もあやふやになりつつある。
ヤバイ!どうしたらいいんですか?健一郎先生!

小林秀雄が、歴史家は事実の記憶だけで頭をいっぱいにしているからダメなのであって、体に染みついているものを「心を空しうして思い出すこと」が重要だとか言っていた(ような気がする…これもあやふやな記憶)。

すぐ出てこなくても、「思い出す」ことができるようになりたいものだ!

「呼び出し時間」が長くなり、もたもたしてしまうことは、止めようもないことなのだろうから!

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