浄化されてないチャクラにも、そんな瞬間が来る時がある!

何年前のことになるのだろう? 今となっては正確には覚えていない。
何かの用事があり完成したばかりの北関東自動車道に高崎インターから乗って、伊勢崎を過ぎるあたりでの出来事だった。
季節は秋で大型の台風が関東を舐め、東の海上に過ぎていった清々しい日の朝だったはずだ。

「台風一過」の言葉通り、台風は地上の塵や埃を一掃していった。
空気はさわやかに澄み渡り、いつもは見えないはるか遠くの景色が見渡せる。 そんなありふれた朝だった。

高崎インターから東へしばらく走るとかなり直線が続く場所がある。
長い直線の先は下り坂になっているのか、まるで道路がそのまま空に溶け込むように見える場所がある。

そこに差し掛かった時、雲の隙間から一瞬太陽が顔をのぞかせた。
澄んだ空気を切り裂くように、陽の光は幾条もの筋となって赤城山の南東方面に広がる大地を照らし出した。
陽の光が降り注ぐその下には、家があり工場があり、たくさんの人間がいて暮らしがあった。
「ねじまき鳥」がぜんまいのねじを巻いて、また新しい一日が始まるような時間だった。

おそらく、東毛から栃木一帯、茨城の筑波山あたりまで、一気に視界に入ってきたのだろう。
普段では視界に入ることのない景色が、気象条件の偶然が重なったからか、なぜかその時だけは一気に自分の認識の中に飛び込んできた、そんな瞬間だった。

その時感じたことは、「大いなるものは確かに存在する!」という直感だった。

別に「神」とかの存在を日常的に意識して敬虔な生活をしているわけではない。
むしろ、物質世界にまみれて日々私欲をどう満たすかばかりを考えている、普通の現代人の一人だ。

いい本だと思います

いい本だと思います。

しかし、その時に感じた感覚は今でもはっきりと覚えている。 「大いなるもの」は、確かに存在するのだ!

というわけで、この休みの間、以前に読んだことのある本を再読してみました。

キャロライン・メイスの「7つのチャクラ」と「チャクラで生きる」の2冊です。

しばらく前から「癒し」はマーケティング上の重要なキーワードとして定着しています。
現代人は、ちょっとしたことで「癒された~」などと、普通に軽く使っています。

メイスさんの本は、この「癒し」について人間の霊的成長という観点から真正面に向き合っています。

「チャクラで生きる」の第7章「チャクラを浄化する瞑想」は、実践的でとてもわかりやすいので、ここだけでも読んでみることをお勧めします。

先述の小生のささやかな体験、こうした直観が毎日のように訪れてくれれば、日常も人生も充実するんでしょうけど。 残念ながら、それ以来そんなクオリアを感じたことはまだありません。

きっとそのためには、もっともっと人間的に成長しなくてはならないんですね(汗)。

メイスさんの2冊、コワーキングスペースに置いておきます。

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