富岡製糸場&絹産業遺産群の世界遺産推薦が決定!2つの遠い記憶。

 

何はともあれおめでとうございます。

地元や県をはじめ関係者のご努力が実りつつあることは、慶賀に堪えません。

県内は東京オリンピック誘致が決まった時のような、ウキウキ気分に満ちているようです。

閑話休題 遠い記憶1

昭和31年の生まれで、大学入学まで群馬県にいた小生にとって、養蚕や蚕、繭などは身近なものだった。

母の実家や農家の友達に家には、木造づくり総二階のいちばんいい場所にカイコ様が陣取っていたし、学校行きかえりの道は桑畑の中を縫うように続いていて、よく桑の実(たしかドドメなどと呼ばれていた)を学校帰りにつまみ食いしたものだ。

中学を卒業して入った学校の校歌も、こんな歌い出しで始まっていた。「桑園開けて我が校舎…」

学校は高度成長時代に中堅のエンジニアを供給する国策教育機関だったので、まさに養蚕業などの古い産業を食いつぶして日本を技術立国化していく時代を象徴したような校歌なのだ。

文豪・佐藤春夫によるこの校歌の歌詞は、もともと作られたとき「桑園変じて…」というフレーズだったが、当時の関係者の意見により「桑園開けて…」と変更されたというエピソードが何かに書かれていたことを記憶している。

しかし個人的な好みからいえば「桑園変じて…」のほうが、文語調でどことなく格調高く感じられるし、時代の流れの中で衰退していく古い産業の「無念さ」のようなニュアンスがよく現れていて好きだ。

「桑園開けて…」では、「時代の流れはどうあがいても止めることはできない」というニュートラルな無責任さ、諦念を感じてしまう。

ふたたび閑話休題 遠い記憶2

時代はさらにさかのぼり、どうしようもないいたずら坊主だった小学生のころ。

一人の女の子が夏休みの自由研究でカイコの成長記録を持ってきた。
起きている限りひたすら桑の葉を食べ続け、フンをして大きくなっていくカイコの成長を真面目に記録した自由研究で、カイコ様のフンがセロハン紙でつくった子袋に日別に分けられて観察記録に添付されていた。
とうぜん、担任の先生は、登校日前夜に適当にまとめた小生のいい加減な代物ではなく、このカイコのフン付き記録の自由研究を高く評価した。

件の女の子もいたって真剣に取り組んでいたのだが、どーしようもないいたずら小僧の小生は、「フンなんか学校持ってきて、や~いきたねーぞ!」などとはやし立てて女の子を困らせたものだ(今でいういじめに近い)。

深く反省している。

実はこの子の名前は今でも憶えていて、確かスドウフミコさんといったハズ。
フミコさんはその後若くして病気でお亡くなりになったので、今となっては謝りたくてもそれができない。

女の子の大事な場所にボールをぶつけたことなども…。

いつのまにか遠い目に!!!

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