「おくりびと」に思う、近代日本の情けなさ。

「納棺師」という仕事があることを始めて知った人は多いのではないか?
小生もその一人で、葬祭ディレクターという資格があることは知っていたが、死体を棺桶に収める専門職があったとは!?
しみじみとしたいかにも形而上学的な仕事ではないか!

「おくりびと」を早く見たいものである。久し振りに日本映画を本気で見たいと感じた。

監督の滝田洋二郎さん。過去に「壬生義士伝」を撮った人とか。浅田次郎原作の書籍は涙ながらに2回読んだが、映画はまだ見ていない。

主演の本木雅弘さん。「シブがき隊」を離れ、映画に出始めた頃から只者ではない雰囲気を醸しだしていたが、「おくりびと」の実現にはモックンの情熱と執念が不可欠だったとの事。

広末涼子はどうでもいいが、音楽は感動請負人の久石譲とくれば、これは「見るっきゃない!」映画の1つだろう。

日本映画は、古くは黒澤明から始まり今村昌平、熊井啓、ビートタケシと国際コンクールでも評価されてきたが、ビートタケシはともかく他の作品は全て、武士道とか茶の湯とか、姥捨て風習とか、近代化以前の日本固有の文化や風習をテーマにしたものだったように思う。

「脱亜入欧」戦略、近代化、高度経済成長を経て先進国入りした日本であるが、明治以降、文化的には何も固有のものを創造していないのではないか!などと生意気にも思ってしまう。

日本全国どこに行っても、コンビニとハンバーガーチェーンがあり町並みに個性がない。
文化や日本的な情緒あふれる町並みは、飛騨高山など保護された観光地にしか残っていないのではないか?

もちろん、手塚治虫、宮崎駿、村上春樹などの個人の力による日本文化の存在証明はあるが、どこにでもあるような生活空間の中に文化が残っていないと感じるのは自分だけだろうか?

日本の近代化は、「100年に一度の大失敗であった!」と総括しても間違いないのではないか?、などと感じるこのごろである。

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