月別アーカイブ: 2013年9月

時計が止まったような場所。継続は本当に力なのか?

30年以上前、学校を出てから数年間、高崎市内で働いていたことがある。

当時、倍々ゲームで業績を伸ばしていた会社で、当然のことながら新入りの小生は仕事を覚えるため残業、休日出勤をいとわず懸命に仕事をしていた。
実家から通っていたため食費や住居にお金を使うこともなく、毎月稼いだお金のほとんどは飲み代に消えていた。

ウィークディは週三くらいのペースで女性のいる店に通い、休日はそんなお店の女の子を誘い軽井沢へドライブ、などというバカげた毎日を送っていた。
ある日、お店の一人を食事に誘ったら、その子の友達と称する人が10人ほどぞろぞろと一緒にやってきたことがあった。
「まいったな」と思っても見栄もある。しかし、そんな大人数でお高い店に行くこともできず、仕方なくファミレスを占拠して朝まで大騒ぎしたことがある。
もちろん「ギャッツビー」のような豪華で華麗な大騒ぎではなく、注文したハンバーガーをファミレスの中でキャッチボールしラグビーの真似事をやったり、運動会のように店内をバトンリレーで走り回ったり…、迷惑千万な客には違いないが「気分はギャッツビー」なようなところが少しはあったのも事実。

怖いお兄さんでもその場にいれば、死ぬほど折檻されても嫌とは言えないような、トッポイ集団だったこともまた事実。

しかし、毎日バカ騒ぎをしていたわけではなく、たまには一人で飲みたいこともあって、そんな時会社のすぐ裏手にあるJazzバーに何回か行ったことがあった。

その店には、ストレートヘアでどことなく神秘的に見える女性店員さんがいて、さすがにこんなところで騒ぐわけにもいかないので、小生もその人も神妙な表情で静かにJazzを聞いていた。

真面目くさって「このベース誰ですか?」などと聞いてみると、「ロン・カーターですよ」などと、脈絡のない会話を断片的にしたことだけは不思議に記憶の奥底に残っているのだ。

昔「集団即興演奏」が流行っていたころ「道化師」というヒット曲があった。

昔「集団即興演奏」が流行っていたころ「道化師」というヒット曲があった。

巡り巡って今、アラ還にしてあら町(シャレではありません)で会社をやることになり、居酒屋で飲んだ後なにげなくそのJazzバー近辺に足を運んでみると、30年前の当時のままひっそりと営業しているではないか?

店に入ってみると、当時は黒髪ストレートの神秘的な雰囲気だったママさんが、今はベリーショートでどこにでもいるような普通のおばさんになって暗い店内で一人Jazzを聞いていた。
当然小生も普通の初老のオジになっているのだが、黒を基調にした店の基本的な設えも、スピーカーの配置や囲炉裏のある雰囲気も、全く当時と一緒のようで懐かしい。

ママさんとの会話も、「昔、あそこにこんなJazzのお店もあったね」とか、「ここのJazz屋さんのマスターは今どこそこで陶芸をやってる」など、昔を懐かしむ話ばかり。

しばらく飲んでいても誰もやってこないのも、昔と同じだ。
まさに、「時間がここだけ止まっているような」、そんな場所もあるものだな~などと思う。

若い人もたまには、そんな時が止まったような空間に足を運んでみてくださいね。

これで終わりにしてほしい半沢直樹。へそ曲がりの遠吠えゆえ、聞き流してくださいね。

出張先のホテルで見た半沢直樹の最終回。

今まで大和田常務を見てきた恨みに満ちた目で、辞令を言い渡す中野渡頭取を見つめる半沢。
「大和田への恨みは果たしたが、やり方が銀行員的でない」という、いかにも銀行的な建前で、ただの「けんか両成敗」ではなく、行内の融和と自らの立場をより強固にするための絶妙・苛烈な人事を行った中野渡。

大和田に勝っても負けても、結局半沢の運命は一緒だったというわけだ。

最終回を見終わった直後のブログで、「もういいかな。半沢直樹…」という感想を書いた。

しかし世の中一般では、「最終回は不完全燃焼、続編に期待」という反応が大半を占めているようだ。

ネット動画で最終回を見直してみて、この大きな違いに改めて思うことは、

  1. 前から感じていたことだけど、やっぱり自分のへそは曲がっている。今日のブログタイトルも、より刺激的に敢えて「これで終わりにしてほしい」とするほど。
  2. 半沢直樹の続編がこのまま続けば、半沢は個人的な恨みとかで動くのではなく、「人間組織における本質的に不条理なもの」を相手に戦うドン・キホーテにならざるを得ないではないか?
    ドラマがその不条理との戦いを描き切れれば、半沢はドン・キホーテでなく英雄になるのかもしれない。
    しかし、視聴率に右往左往するTBSに、そんな難解なテーマに本気で取り組む覚悟はさらさらないと思う。

ということです。

さらに付け加えれば、最終回の「不完全燃焼」は、TBSサイドがまだそのあたりの方針を決めていない日和見主義の証左かとも感じました。

別に池井戸潤さんが描く原作ドラマの切り口や、人間組織の現実に対する深い洞察にケチをつけるわけではありません。

しかし、人気にあおられTBSは着実にどツボに突き進んでいるような気がしてなりません。

PS

人それぞれ、いろいろなご意見はあろうかと思います。
銀行などという「人事が万事の不条理集団」に勤務したことのない小生は、こんな風に感じています。
へそ曲がりの独り言なので、聞き流してくださいね(笑)。

雑談と脱線の連続でしたが、けっこう盛り上がりました。中之条ビエンナーレのことなど。

今日は群馬県立女子大学・美学美術史学科の奥西麻由子先生にお越しいただき、コワーキングスペース・Somethin’ Elseで「身近なアートプロジェクト ~中之条と伊香保の事例~」という出前講座を開催しました。

告知がうまくいかなかったせいか少人数での開催となってしまいまいましたが、集まったのが「雑談、ワイガヤ好き」ということもあり、2時間の講座は脱線の連続でけっこう盛り上がりました。

中之条ビエンナーレ2013

中之条ビエンナーレ2013

今回で4回目となる「中之条ビエンナーレ」というアートプロジェクトは、もともと行政側から「町おこし」で発案されたものではなく、「ここ中之条で何かをやりたい!」というクリエイター達の強い思いが行政を動かして実現したものだそうです。

はじめのうちは、自分の田畑や庭先に「わけのわからないオブジェ」を持ち込んでくるクリエイターと地元の人たちの間に微妙な空気が流れていたとのことですが、チープな予算の中で手弁当・赤字覚悟で一生懸命に取り組むクリエイターの姿を見て、徐々に地域の人たちとのコミュニケーション、連携が発生していったということです。

材料が必要なら、地元の人が木を切り出し石を運び、労力が必要なら力を貸すなど、同じ釜の飯を食って苦楽をともにした仲間意識の感覚で、芸術家たちと地元の人々との交流が生まれてきているとのことでした。

つまり、あなたは作り手で私は観客というつながりではなく、作品を作り出す共同のプロセスが連帯感と相互理解を深めていったとのことです。

集金力に長けた名プロデューサーが著名な創作者の作品を集め大規模イベントして展開するやり方は、予算が潤沢で集客事情にも優れた大都市圏であれば成立します。
しかし、群馬県の山間地の自治体で真似できることではありません。

中之条では8年前から、山間地でもできるアートプロジェクトに取り組んできました。
今では、約1か月の開催期間中に35万人の集客があるところまで成長したということなので、地元の住人と芸術家たちの「思い」が着実に成果を生んだ結果ということができるでしょう。
35万人と言えば中之条の人口のいったい何倍に当たるのでしょうか?

同じ予算をありきたりの観光キャンペーンに使っても、決してこのような成果は生まれないと思います。
広告代理店は潤うかもしれませんが。

今年の「中之条ビエンナーレ」は、9月13日に開幕し10月14日まで開催されるとのことです。
開催冒頭の連休に学生と一緒に現地で撮影したさまざまなオブジェの写真も紹介していただきましたが、みな芸術家と住民たちとの連帯の成果だと思って眺めていると、それぞれがとても優れたものに見えてきました。

期間中にぜひ訪れてみたいと思います。みなさんもいかがですか?

中之条ビエンナーレのサイト http://nakanojo-biennale.com/

最後に。
うるさい生徒たちが好き勝手におしゃべりする催しで、先生もやりにくかったかと思います。
ご迷惑をおかけしました。これに懲りずに、また何か一緒にやりましょう!

富岡の関係とか…!

NPO在宅ケアを支える診療所市民全国ネットワーク-第19回全国の集いin新潟2013

掲題のイベントに出展者側の一人として参加しました。

「在宅」や「高齢者医療」は今の時代のキーワードのひとつで、IT業界においても数少ない残された成長マーケットとして注目されています。

元来この分野のITシステムは、大きなベンダーがそれぞれ独自のプラットフォームを掲げ推進してきていて、相互の情報連携などほとんど考慮されていません。
したがって、病院などの医療機関がひとたびIT化されてしまうと、よりいいものに切り替えようとしてもなかなかうまくいかないブラックボックスと化してしまう弊害があります。

この辺りの事情は、より真面目な形で会社のホームページに掲載してあります。 →こちらです

しかし、時代の要請である「在宅ケア」は、医療従事者相互の「タイムリー情報の共有」がその成否を握っているといっても過言ではありません。

そんな問題意識の元、弊社では「シンプル」に使え、必要な情報が「タイムリー」に共有できる在宅医療連携システムを開発し、様々な機会を通じてご紹介を行ってきました。

今回の「NPO在宅ケアを支える診療所市民全国ネットワーク-第19回全国の集いin新潟2013」への参加も、その一環となります。

このイベントでは、高齢者の介護用品から食事・食材、健康維持器具から弊社のようなITシステムまで、高齢化社会のニーズに対応した幅広い商品が出展されていました。

来場者対応の合間にいくつかの出展ブースを回ってみましたが、その中で少し気になったものに地元新潟の日比野音療研究所が展示していた「凜舟(りんしゅう)」というスピーカーがありました。

「音療」とは聞きなれない言葉ですが、Sound Therapyと聞けばピンとくるものがあります。
もともとこの研究所は、あのバークリー音楽院ジャズ作編曲科を出てサックスプレイヤーでもある日比野則彦さんが代表を務められています。
日比野さんは、ゲームMetal Gear Solidのサウンド製作者としても知られていますが、終末期にある患者さんやご家族に、「祈り、寄り添う」音楽の力で「心と魂の安らぎ」を感じ取っていただくために「天上の音楽-音楽を通じた心と魂のケア-」というコンサート活動を続けておられます。
コンサートは、公共ホールだけでなく、ご自宅・介護施設・病院など、たとえ観客が一人でも音楽が何かのお役にたてることなら…、という感覚で取り組んでいるとのことです。

船の帆がかすかに震え、クオリティの高いサウンドが生まれます。

船の帆がかすかに震え、クオリティの高いサウンドが生まれます。

また、演奏家が行くことが現実には難しいご家庭には、やはり地元新潟の桐箪笥職人の熟練技術を生かして、船の帆が振動しクオリティの高いサウンドを現出させる独自のスピーカーシステムを開発し販売しています。
「凜」としたサウンドを響かせる「船の帆」のかっこうをしたスピーカーなので「凜舟(りんしゅう)」という名前になったものだと思います。

思いと技術が連動した「物語」のある商品として、ぜひ欲しいと思いましたが、まだ量産品ではないので手の届く範囲にはないようで残念です。

せめて、何かの機会を見つけてコンサート「天上の音楽-音楽を通じた心と魂のケア-」をじっくり聞いてみたいと思います。
(ランチョンセミナーで短時間聞いた日比野さんのサックスと奥様のソプラノには、グッとくるものがありました。セミナーの最後に参加者全員で「ふるさと」を歌う場面では、最近涙腺が緩いせいか目から心の汗が一粒…)

とにかくいいものを聞かせてもらいました。

もういいかな。半沢直樹最終回で感じた率直な感想。

先日のブログで、「最終回がどんな結末になっても、すっきりしない気持ちになりそうな予感がした。」と書いたが、まさにそんな気持ちにさせられてしまった。

前回の半沢ブログ
http://www.fairmind.jp/president/2013/09/16/1894

すったもんだの末、中野渡頭取は大和田と旧東京産業一派を「自分に一生頭の上がらない存在」にした。
合併銀行同志の派閥争いに最終的に勝利し、「行内融和」とやらを達成したというわけだ。

返す刀で頭取は、半沢を子会社に出向させた。

そして、これまで大和田を見るときの半沢の険しい目つきが、今度は中野渡頭取に向けられ、ひとまず最終回はThe End。

大ヒットしたドラマ「半沢直樹」をステップに、これからどう視聴率競争を展開していくか?
「振り向けばテレ東」と言われているTBSは、半沢人気を今後どのように利用するか、あれこれさまざなシミュレーションをしたのだろう。

ここまで来るとおそらく池井戸潤の原作などまったく関係なく、視聴率の名のもとにTVドラマが独り歩きを始めたと感じる。

次のクールでは、何とか証券に出向することになった半沢が、また新たな「倍返し」を画策するのだろう。

「もういいかな」というのが再びの感想。

次は、そんなに期待して見ることはないだろう。

仕事で新潟泊り、今日はしっかりTVの日。

朝一番で前橋に行き、午前中いっぱいある催しに参加。

Cross-i Projectという新しい試みがスタートし、スマホアプリの開発講座や前橋市内でコワーキングスペースを展開し、地域の活性化に寄与していくとのこと。
志をほぼ同じくするものとして、今後のご活躍を期待したい。

ゲストスピーカーで大宮「7F」の星野さんが来ていたので、ご挨拶。
Facebookなどを見ていると、かなりお忙しい様子だが、今日も元気溌剌で明快なお話をされていた。

太田市内でエールクリエイティブを運営されている藤枝さんもいたのでしばし情報交換。
互いに「お噂はかねがね」といったところ。

ひととおり会が終わりそうなタイミングで会場を出て高崎へ。
事務所に立ち寄り、観葉植物に水をやりすぐ新幹線の人に。

新潟は数年ぶりだが、新幹線の止まる駅は日本中どこへ行っても同じような景色なので、面白みを感じない。ここのも代ゼミがあるし、コンビニも伊勢丹もある。

オリーブはまちなるものは結構おいしかった。ナイフもないので、何とか豚のヒレカツはかぶりつくしかない。

オリーブはまちなるものは結構おいしかった。ナイフもないので、何とか豚のヒレカツはかぶりつくしかない。

せめて新潟なんだから、「越後屋」という名前のデパートがあってもいいのでは!?

閑話休題

今夜は、なでしこ、半沢最終回でTVの日と決めていた。
よって、夕食はデパ地下のお惣菜コース。

ホテルのチラシにあった「のどぐろ刺身」の居酒屋に心惹かれるが、ぐっと我慢して伊勢丹の地下で「天然のオリーブはまち」なるものと「何とか豚のメンチとヒレカツ」、「釜揚げシラスの梅マヨパスタ」なるものを買い込み、さあなでしこの応援だ!

興奮して飲みすぎないよう、9時から半沢の最終回もあるし。

7年後に東京でオリンピックがあるそうな?

何いまさら言ってるんだというところですね。

しかし、「7年後」をひとつのゴールにして、何かをやってみるのはいいことかもしれません。
たとえば、何かの目標を立て、「面白きことのなき世を面白く」という日々を送るのはいいことかもしれません。

そんなわけで、最近考えていることは…。

  1. これまで何もしてやれなかったお袋に、東京五輪の開会式を生で見せてやろう。その時は、お袋も90歳を超えているので、それまで頑張ってもらって。
  2. 7年後は小生も××歳(別に隠すことはない63歳)。そろそろ自分の「その時」のことを考えながら毎日を送ろう。だって、最近1日も1週間があっという間に過ぎる。7年なんてすぐそこだと思うので。

というわけで、まずは身辺整理と思いまして、乱雑なままの自宅の本棚の整理を始めました。

ジャンルでいうとおそらくマルクス・ヘーゲル系の本(若かりし頃の遺品)、ユングをはじめとするオカルト系、小林秀雄関係などが多いはずですが、ひとまず村上春樹関係の本をまとめてコワーキングスペース「Somethin’ Else」に移動させました。

本棚というものがないので、ラックに無造作に置いてあります。ご自由に!

本棚というものがないので、ラックに無造作に置いてあります。ご自由に!

ざっと60冊ほどありました。

中にはまだ読んでいないと勘違いしダブルで買い込んでしまったものや、習慣になっているお風呂読書中に気を失ってしまい水浸しになってしまったものなどありますが、気にせずに持ってきています。

英訳本の「カフカ」やサリンジャー関係の本も結構ありました。

これから、徐々に自宅から退避させていきますので、スペース利用の方にお気軽に手に取っていただければと思います。

ノートパソコンがなくても、読書にお越しください。

寄り道して「今宵月の見える丘」へ行ってみたけど。

8時過ぎに会社を出て、十五夜で月がきれいというので寄り道して「今宵月の見える丘」に行ってみました。 もちろん、歌の歌詞のように「手を繋いで」一緒に行く人は誰もいませんが(笑)。

高崎市民ならだれでも知ってる高崎観音山です。

「今宵月の見える丘」から下界を見下ろす観音像。地元ゼネコンの創業者が、敗戦の鎮魂のため建立したという。

「今宵月の見える丘」から下界を見下ろす観音像。地元ゼネコンの創業者が、敗戦の鎮魂のため建立したという。

いつも思うのですが、観音様に近づくルートは、遠くからは観音様が見えるけど接近するにつれ樹木の陰になりしばらく見えなくなります。
しかし、とあるカーブを曲がると突然また観音様が「ヌゥッ」と現れるのです。
遠目に見ていた時の数倍の大きさで突然。

初めて夜に行ったとき、突然現れる巨大な観音像にけっこう肝を冷やしたものです。

今宵の高崎観音もライトアップされとてもきれいに見えました。

残念ながら、月と一緒の構図に収まるロケーションはなく、月は月、観音像は観音像という写真になってしまいました。

それにしても月を撮影するのはとても難しく、結局ブログに使うようなものは撮れませんでした。

せっかく「今宵月の見える丘」へと洒落込んだのに、隣に誰もいないし月も撮れず少し残念でした。

村上春樹編訳「恋しくて」、途中経過「ジャック・ランダ・ホテル」のことなど。

 

毎日朝4時前後に起きて、しばらく志摩ちゃん(2歳雌猫)とじゃれてから朝風呂に入り1時間ほど本を読む。
そんな習慣がついてからもうどれくらいになるだろう。

恋愛初心者なので読んでみました。

恋愛初心者なので読んでみました。

寒い冬にこれをやるのは結構きついが、春からのスリーシーズンには何の問題もない。
最近のお風呂のお供は、村上春樹編訳で最近出た「恋しくて」。

もともと村上春樹の翻訳物は、「ギャッツビー」や「キャッチャー・イン・ザ・ライ」くらいしか読んだことはないが、今回は短編集であることとタイトルに惹かれて出版後すぐに衝動買いした。

短編を第八作まで読み、一つの翻訳短編と書き下ろしが残るところまできた中間的な感想。

正直言って、第六作までは退屈な小説ばかりだった。

感性が鈍く、読解力に乏しいせいだとは思うが、西洋人は何でこういう小説を好むのか、村上春樹もなぜこういうものを敢えて日本語化しようとするのか、翻訳のどのあたりに彼らしさが出ているのか、残念ながら理解するところまではいかなかった。

実のところ、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は村上春樹そのものを読んでいるような感覚もあり面白いと思うが、なぜ村上春樹が「ギャッツビー」にあれほどまで入れ込むのかもよくわかっていない。

しかし、そんな凡庸な感性の持ち主にとっても、第七作目のアリス・マンローの「ジャック・ランダ・ホテル」という短編はとても面白かった。

自分を捨てて若い女と駆け落ち(日本的な言い回しで、この場合適当かどうかはわかりませんが)した元夫を追って、オーストラリアに渡る主人公。
この主人公がふとしたことから、すでに死んでしまった別人に成りすまし、元夫と「文通(これも日本的な恋愛シーン)」をすることになる。

この「駆け落ち」「追っかけ」「なりすまし文通」という流れだけでも、登場人物達の心理的な背景がリアルにイメージできるので、面白さがストレートに伝わってくるのだろう。
舞台やTVドラマの脚本なら、「この筋書きで、俺でも書けそう!」などと妄想を抱いてしまうほど、ストーリーとして面白い。
「駆け落ち」や「文通」などが、日本的な恋愛シーンで一定の共通感覚を抱けるものであることも、わかりやすさにつながっているのだろう。

あと翻訳が一編と書き下ろしが一編が残っている。
もちろん書き下ろしが楽しみなのは言うまでもない。

それも、あのカフカに出てくる「ザムザ」が主人公とあってはなおさらだ。

ドラマでの「倍返し」は確かに面白い。しかし現実世界で倍返しが連鎖したら。 最後は女性の優しさしか残らない。

 

「この借りは死ぬまで忘れないわよ!」と言って、いったんは退却した黒崎検査官が倍返ししたらどうなる。 あるいは、大和田常務と羽根専務たちも失脚後に新たな倍返しを画策したら。

そんなことを考えていたら、最終回がどんな結末になっても、すっきりしない気持ちになりそうな予感がした。

大型台風が列島を縦断している祭日の月曜日。 こんな天気に出かけるわけにもいかないので、ネット動画で「半沢直樹第九話」をもう一回見てそう思った。

悲劇が憎しみに変わり、憎しみが復讐を呼び、復讐がさらに大きな悲劇を再生産する。 アラブと西欧世界の終わりなき争闘で、一番大きな悲劇を蒙っているのは戦闘行為の第一線とは関係ない女性や子供たちだ。

「やられたらやり返す!倍返しだ!」は、ドラマの主人公のやむにやまれぬ動機としては理解できるし応援もするが、現実世界の中で愚かな人間が際限なく繰り返している悲劇の出発点なのだと思う。
(アラブやアメリカだけを「愚か」と言っているのではない。人間は本質的に愚かな存在だと思っている)

ドラマでは、半沢や近藤の奥さん達がそんな倍返し合戦を、家庭を守る立場から優しく支えている。

最後に残るものは、生き馬の目を抜く世界で戦う男たちを陰で支える、女性の優しさなのかもしれない。
半沢直樹が受けているのは、復讐ドラマのスリリングな展開の中に、復讐という人間本性に根ざす愚かで野蛮な行為と対極の「女性の優しさ」が描かれているからなのかもしれない。

近藤の奥さんが出てくる場面など、不覚にもウルウルしてしまう(笑)。

でも、近藤は本当に大和田側に寝返ったのか?
最終回はいかなる展開になる?