カテゴリー別アーカイブ: よしなし事

第2クール半沢直樹、歌舞伎と同じ!? あまり面白くないのですが!

「成田屋の 睨みが効かぬ 夜の街」

市川海老蔵がやんちゃの果てにきつくしばかれた例の事件を受けて、しばらく前にこんな川柳があったと思う。
はじめて聞いた時、「うまい!」と思った。
「自分は人間国宝の家柄だから一生食いっパグレはない、それに比べてお前ら下々は惨めなものだよね~」などと酔った勢いで見栄を切り、タバコの灰皿に注いだ酒を飲ませようとした海老蔵。
尊大で失礼な海老蔵に切れてボコボコにしてしまったチンピラの一人。

その後、市川家と件のチンピラ一党とは手打ちがなされ、世間の中耳は事件を忘却の彼方に流してしまった。

海老蔵はその後、不治の病でこの世を去った妻への献身的姿勢や良きパパ振りばかりがマスコミに流され、いわゆる「いい人」の評価が定まってしまった。老いも若きも、歌舞伎という日本の伝統芸を担う家柄の話題に対し概ね好意的な評価をしていると思う。

これは根本的におかしいと思うのだが、「海老蔵は本質的に変わったのか?」「現代における歌舞伎の本質的価値如何?」などとは誰も言わないので、【小言じじい】としてはブログの枕としてひと言述べておきたい。国宝を認定する文化庁の役人なども、歌舞伎の現代的価値直などこれっぽっちも理解していない(と思う)。

閑話休題
久しぶりにブログを書こうとしたのは、半沢直樹と日本の伝統芸・歌舞伎の関係であった。

半沢直樹の第2クールが第7話までは終了した。

第7話では帝国航空の債権放棄スキームで融資銀行団をまとめ、政治的成果を誇示しようとしたちんけな国交大臣(?)が半沢にしてやられるという話で、それなりに留飲を下げることができた。
第2クールの各話も、概ね視聴者の評価は高く圧倒的な視聴率高さがそれを物語っている。

しかし、

歌舞伎由来の見栄と顔芸が目立つばかりで、「面白くない!」というのが、小言偏屈じじいの率直な感想なのだ!
何年か前の第1クールの時は、日曜の夜が待ち遠しく、一話が終わるたびに熱狂的にブログを書いていたのだが、今はその熱がない。

再び閑話休題

現代の日本人で歌舞伎をはじめとする伝統芸の、歴史的背景や芸術的価値を正しく理解したうえで楽しめている人がどのくらいいるのだろうか?
以前、日本の伝統芸を研究するために日本の大学に留学し、卒業後も日本各地を放浪しているイギリス人と話をしたことがあるが、日本や日本文化への愛着、理解度において全く歯が立たなかった経験をしたことがある。現代日本人は、古典落語を聞いてもその機微を理解できないのではないか、もちろん私もわからない。
これを「情けない」と思うか「日本文化の普遍性のなさ」とコスモポリタン的にやり過ごすか、私自身は後者だったように思う。

話しはあちこちそれるが、半沢直樹が受けているのは、半沢や大和田常務など、およそ現実にはいないだろうと思う登場人物たちよる大げさな顔芸と話芸に尽きるのではないか?ということ。
これは、歌舞伎のクライマックスで「見栄を切る」「睨みを効かす」場面と基本的な構図は同じで、半沢らは現代の銀行というシーンで歌舞伎をやっているのではないかと思うのだ。

そう考えてみると、大和田とか黒崎など脇を固める俳優が歌舞伎関係の人であることもうなづける。

第2クールの半沢直樹をつまらない、と感じるのは「これは歌舞伎の現代版だ!」ということに気がついてしまったことによるものかもしれないと思うのだ。だったら歌舞伎そのもののほうがもっと面白いのではないか、などとも思う。

NHK2チャンで放送している歌舞伎中継も、シテとかワキとかが展開する現代人には全く理解できないダイアローグや、見栄、睨みの背景を辛抱強く説明してくれれば、理解が深まり面白く感じることができるのではないかと感じた次第。

細かいストーリーの整合性を抜きにして、来週からは歌舞伎として半沢直樹を見ようと思う。

歌舞伎も半沢直樹のように鑑賞してみようと思う。

賭けマージャン問題などで職を辞してはいけない! 官邸の闇に一太刀を!

賭けマージャン問題などで職を辞してはいけない!
 
官邸の闇に一太刀浴びせてから潔くやめてほしい!
 
国民無視の忖度と自己保身が渦巻いている永田町で、「政治家にとって一番使える男」として活躍してきたのだから、闇の本質をよく知っているはず。
 
与党も野党も「やめろ!」の大合唱。立場は違えど、まるで寄ってたかって黒川問題を賭けマージャンで終わりにしようとしている感がある。
 
それにしてもマージャン相手が官邸からもっとも煙たがられている朝日新聞の元記者だというのは、どういう構図なのだろう。
「面白い」ともいえるし、その裏をさらに勘ぐってみたくもなる。
 
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20200520-00000563-nnn-soci

「人柄が信用できない」といわれ、それでも我が道を行く安倍首相。

「個別の世論調査の結果に一喜一憂しない」…いつの時代でも内閣官房長官が会見で使う常とう台詞だ。
 
確かに内閣を「支持しない」が「支持する」を上回ったところで、面の皮の厚い連中にはまさに「カエルの面に何とか」なのだろう。
 
全てを確かめたわけではないが、ほとんどの調査で安倍内閣を支持しない理由の第一に「人柄が信用できないから」がきて、「他に適任がいない」「政策に期待ができない」が続く。
 
今の時代、ほとんどの政策は官僚様が作り「政治のリーダーシップ」は幻想なのだから、政策立案能力を政治家たちに期待しているわけではない。
しかし、せめて人柄、人間性くらいは範となる期待を国民は持っているが、安倍首相にはそれさえ期待できない、と多くの人は感じている。それが多くの世論調査結果の背景にはあるのだろう。
 
コロナのどさくさに紛れ、検察介入という身内びいきの自己防衛政策をごり押ししようとしている安倍内閣は、事ここに及んで「検察人事はもともと法務省の提案だ」という新説(言い訳)を弄し始めている。
 
結局のところ件の法案は今国会でのごり押しは無理、という政治判断に至ったが、「法務省の提案」説は、またもや忖度好きのお友達・取り巻きから吹き込まれた嘘八百なのだろう。
 
【検察がまともなら安倍さんはすでに3度逮捕されている】という夕刊紙の見出しを、あながち東スポ的な針小棒大妄想とは否定できない心持になってしまった。
 
「人柄が信用できない」などと言われたら、私ならショックで寝込むだろう。その意味では、安部さんは大したものである。

はまりつつあります、「いいね! 光源氏くん」(笑)

久しぶりの自社ブログ。

ここのところFaceBook中心の発信でしたが、知人関係にあまねく知られてしまうと少し恥ずかしい話題は、アクセスの少ないこちらのブログに書いておきます(笑)。

最近少しはまり気味の「いいね! 光源氏くん」

しかし、夜11:30の放送時間を待ち構えて欠かさず見ているわけではなく、深夜にふと目が覚めるとつけっぱなしのTVがだいたい再放送をやっているのでつい見てしまう、というパターンです。

何にはまっているかというと、源氏物語の主人公が時空を超えて現代に迷い込むという荒唐無稽な筋書きではありません。

時期はかぶっていますが、「アシガール」という光源氏とは逆に現代のJKが戦国時代にタイムスリップしてしまうドラマもありますが、こちらには筋書きも女優さんにも特に特別な印象を持ちませんが、光源氏くんで伊藤沙莉(いとうさいり)さんという女優さんが演じる「沙織殿」に、もしくは伊藤沙莉さんという女優さんそのものに言いようのないい魅力を感じてしまうです。

この伊藤沙莉さん、子役出身の演技派だそうでおなじNHKの朝ドラ「ひよっこ」にも出ていたそうですが、光源氏くんを見るまでまったく知りませんでした。

いわゆる美人ではありません。

少し前に相席スタートの山崎ケイさんが流行らせた「ちょうどいいブス」というフレーズがありましたが、男の心理の機微をうまくとらえていて感心していました。

伊藤さんは全然ブスではないと思います。どちらかというと美人だと思います。

しかし、井川遥とか北川景子などの高嶺の花のような「飛び切りの美人」ではなく、私にとっては「ちょうどいい美人」なのです。

容姿の話題は天に唾して自分に落ちてくることは重々承知していますが、「ちょうどいい美人」をこれからも応援しようと思います。

GAFAだ、アメリカだ、中国だ!バカバカしい争いは破滅まで終わらない!?

私の会社が経営しているSomethin’ Elseは、「日経Office Pass」というサービスの提携スペースとなっていて、会員企業のユーザーはスマートフォンのコードを提示するだけで利用することができます。

この「日経Office Pass」サービスをサポートしている会社が株式会社OPT Incubate(オプトインキュベート)ですが、創業者が先ごろ上梓されたという書籍を送ってくれました。

「GAFAに克つデジタルシフト」という本なので、少し真面目に目を通してみようかと。

書名から察するところ、どんな業界の会社もデジタルシフトして人材を育てないとGAFAや中国BAT(バイドゥ、アリババ、テンセント)に飲み込まれる日がやってくるぞ!という経営者向けの警鐘本のようです。

経済的な状況認識としてはその通りだと思うし、日本企業のデジタルシフトは確かに遅れていると思います。

しかしながら、プラットフォームの主人公をめざしなりふり構わず戦っているGAFAやBAT、それを追いかけるSBなどの日本勢がやっていることは、1企業のサスティナビリティには沿っていても、地球や人類の継続可能性からみるとはたしていかがなものなのでしょうか?

アメリカだ、中国だ、いやイランだと尊敬できないリーダーたちが引っ張っている国レベルのバカバカしい競争にも同じ印象を持ちます。

破滅まで突っ走るしかないのが人間のサガなんですね、やっぱり。

昔マルクスという人は、「資本は自己増殖する」と資本や商品の貪欲さを言い現わしましたが、自己増殖の行きつく先は、すべての破滅が待っている、そんな憂鬱な気分にもなるこの頃。
自分の足を食べて空腹を満たすタコのようなものですかね、人間を人間の経済というやつは。

私が与したいのは、この程度のナショナリズムなのです。

頑張れ日本ラグビー!決勝まで行くぞ!(笑)

改めて思う、「心ある道」のこと。

アイフルという会社があります。高利貸のがめつい、京都のあのサラ金会社ですね。

この会社のCMに大地真央さん扮する老舗料亭の女将風情が、「そこに愛はあるんか?」と厳しい口調で弟子の板前を問い詰めるシーンがあります。

この会社が事業をやるとき、なにがしかの意思決定がされるとき、さらには社員一人一人が何かの行動を起こすとき、常に「そこに愛があるんか?」が指針や拠り所になっているとしたら、とてつもなく素晴らしい会社だと思います。CMがホントならばね。

しかし、想像するにおそらく、「そんなことはこれっぽっちもない」が真相だと思います。
ただ単に、アイフル(愛がいっぱい)というCMコピーライターの安易な連想から生まれた薄っぺらな宣伝文句なのでしょう。

私は宝塚のことはよく知りませんが、10代のころから努力を重ねて歌や踊り、お芝居などの芸を磨いてスターになった女性のイメージがあり「皆すごいなあ」と単純に思っていました。しかし、このCM一つで大地真央さんという人が嫌いになってしまいました。

仕事を受けるとき「筋」を大切にしないと!
ここでいう「筋」とは、クライアントの実態、宣伝コンセプトとの相性や乖離、自分がその仕事をやることの価値づけなどですが、大地さんが吐く「そこに愛があるんか?」というあの言葉は、彼女のステータスを極限まで傷つけていると思えてなりません。
おそらく、当の社員さんたちも「そんなつもりは毛頭…」と冷や汗を流すようなCMなのではないでしょうか?

閑話休題

全く関係ない話の枕になってしまいました。
実はこの久しぶりのブログは、「心ある道」のことを考えてみようと書き始めたのでした。

カルロス・カスタネダや彼の師匠・アメリカ先住民ドン・ファンの物語は、1970年代に大ブームとなり、世にあらがう学生や世界を放浪する自分探しの青年、ヒッピーたちの教科書のような存在でした。少し遅れて70年代から80年代にかけて、とっぽいというしかない学生時代を過ごすことになった私も、真木悠介さんの「気流の鳴る音」を入り口に呪術師シリーズを読んだものです。結構真面目に!

カスタネダの著作は、結論がすぐそこに書いてある論文のような構成ではなく、師匠と弟子の対話やかかわりの中でカスタネダ本人が「近代」や「明晰の罠」から解放されていく過程が描かれているので、読むことだけで結構忍耐力が必要でした。そして、そんな本たちは今でも自宅や会社の本棚に置かれています。売られることも捨てられることもなく。

還暦を過ぎ数年、改めて自分の「落とし前」をつけるべきタイミングに思うことは、結局のところ「心ある道」の一言に尽きるのではないか、というような心境になりつつあるのです。

「そこに心はあったのか?」と過去を振り返っても今更詮無いことですが、少なくてもこれから死ぬまでは、常に「そこに心はあるんか?」を問いながら選択し、進んでいきたいと思います。

どこかのゴールにたどり着くこと、結果にだけ価値があるという「意味への疎外」に陥ることなく、その道のりに「心のありか」を問うていくような生き方をしたいと思います。

なんだか「青年の主張」のような締めになりましたが、考えても考えてもそれしかないと思います。

どこに続くかわからないこの道のりを、心満たして歩みつくすこと。

それしかない!いやそれしかなかった!

愛猫・志摩を荼毘に付してきました!合掌!

10月30日、6歳にして病気で亡くなった志摩を、本日荼毘に付してきました。

志摩は私が生涯で初めて飼った家猫で、娘のアパートに引越ししてからしばらく会ってませんでしたが、そろそろペットグラスでも土産に顔を見に行こうと思っていた矢先でした。

志摩との思い出はたくさんあります。

6年前に子猫で我が家に来た時は、小生はいわゆるノマドワーカーをしていてほぼ毎日自宅でシコシコ仕事をしていました。毎日夕方になると、リードを付けて近くの公園に散歩に行くのが日課でした。

猫の散歩は珍しいらしく、多くの人に奇異の目で見られたものです。
「奇異」に見られることを小生はまったく気にしませんので、そのまま毎日の公園リード散歩を続けていました。

ある日いつものように公園に行くと、猫にとって何かびっくりするようなことがあったらしく、突然脱兎のごとく公園の大木に駆け登ってしまい、自分では降りられなくなってしまったことがありました。伸びきったリードをつけたまま、10メートル近く高い大木の先端で3時間ほど心細そうにしていました。
私と言えば、家に帰って梯子を持ってくるとか、挙句の果ては重機屋の知人にクレーンでも貸してもらおうかなどと大木の下で悩み続け、結局自分は落ちてもいいからと意を決して木に登り命からがら(少し大げさ)救出したのでした。

またある時、自分自身が手首を切ってウンウン唸っていた時に、ずっとそばにいてくれたもの志摩でした。

助けたり、助けられたり…、志摩と私はそんな関係でした。

その後、次女のアパートに引越し、我が家も新しい猫さんがやってきて志摩と会う機会も少なくなっていましたが、そんな折に突然の訃報が!

自分で言うのも親バカですが、美人猫でした!大好きでした!合掌!

久しぶりにBook汚腐に行ってみたらこんなムック本が…

最近少し嵌りつつある「禅」なるもの。

西田幾多郎の伝記本のような本(上田閑照『西田幾多郎とは誰か』)を読んで、改めて「禅」なるもののアウトラインをなぞってみようという気持ちになっていました。

別に極めるつもりもない、またぞや次から次へと関心の対象が移りかわる浮気心にすぎないのですが、こんな時にBook汚腐に行くとついそういう系統の本が目に飛び込んでくるものです。

こんなムック本が目に入り、100円以上の本をBook汚腐で買うべきではないという戒めを破り、つい買い込んでしまいました。税込500円也。

道元から始まり雪舟、良寛から山頭火まで、一通りの解説のほか、只管打坐の世界-永平寺の生活というコーナーもあるので、しばらく暇つぶしになりそうです。

全編180頁余り、ほとんどカラーなので、飽きずに頁を追いかけられそうです。