月別アーカイブ: 2014年3月

仕事ができる人って?、「残念な人の習慣」って一体全体…?

長年いろんな仕事をしてくると、人間の業務能力というものに思いをよせることがある。

業務遂行能力については、「確実性」とか「創造性」とか「共感能力」とか、これまでにもいろんな考え方が提示されてきたし、「コンピテンシー」などという一世を風靡したコンセプトもあった。そしてそれらを簡単に測るための簡単なテストや、本やセミナーで対処策としてのコンサルノウハウを切り売りする商売も一定程度に成立してきた。

過去これまでに、時代によりいろいろな考え方が提示され、そのたびに本屋さんのビジネス書コーナーは塗り替えられてきた。
個人的に結論を急げば、いつの時代にも汎用的に通用するノウハウなどない!、ということになるが「若い人がそれ以降のビジネス社会を有意義に過ごせるか否か、仕事で成長できるかどうか?」については、いくつかの経験則のようなものを思い浮かべることができる。←こんなことを敢えて書くことになったのも、年をとったせいかもしれない。

ひとつは、若い時は(あるいはボケ防止のため中高年においてもそうかもしれないが)「Keep Busy」という時間感覚についての習慣。
ゆったり斜に構えて仕事をしている人が、創造的な何かを成し遂げた例を小生は寡聞にして知らない。
一見余裕があるように見えても、人に見せない裏の面で、創造者や成功者は必ず自分の時間を「Keep Busy」に保っているはずだ。

もう一つは、会話における「妄想喚起力(=仮説立案力)」である。
近年、仕事におけるコミュニケーション能力がこれまで以上にクローズアップされている感が強いが、お客さんやステークホルダーズとの何気ない会話の中で、相手の言ったことを「それは少し違うのでは?」とか「言い換えればこういうことですか?」などと自分の文脈の中で再構成し問いかけていく習慣のことだ。
ようするに、自分の関心にもとづき会話の中に食いつく箇所を見つけ、相手の気分を損なわない程度に挑発し互いにレベルを高めながら第三の結論・共感を獲得していく、そんな習慣のことになる。

結局、これら2つの「能力」とされるものも、行き着く先は思考や行動にかんしての「習慣」ということになりそうなので、それがうまくいかない人は「残念な人」というすでに仕事術で一儲けしたコンセプトになってしまいそうだが。

3つ目に敢えて言えば、自分の仮説で相手の心を動かしてやろうとする意欲と演技力(サービス精神とノウハウ)が伴えばなおいいと思うが、これは経験だけが身に着けることができるもの。

したがって、「忙しくても我慢して創発的に相手とかかわる姿勢で経験を積み重ねる」、そんなありふれた結論になってしまいそうだが、「可能性」を見るしかない人の採用においては、どのようにそんな人を発見していくかが問われているのだろう。

結論が出ないブログ…。久々の連休なので、取り留めもなく…。

見てきました、ハンナ・アーレント。悲劇でなくてもウルウル(笑)。

hanna1見てきました、ハンナ・アーレント。

「根源的な悪」「凡庸な悪」…。
行為やその結果は同じであっても、2つの「悪」をはっきりと峻別しなければ、人を評価したりましてや裁くことなどナンセンスである、とアーレントさんは言っているような気がしました。

この意味でアーレントは、ナチ幹部のアイヒマンを擁護したのではなく、世の中の熱狂に流されてしまう「思考停止状態」こそが、ナチスの残虐行為の中で最も裁かれるべき「人間の問題」であり、それは「人間の放棄」に等しいということを問いかけているような気がします。
またこの「思考停止」批判は、大戦終了後にユダヤ人社会で盛り上がったシオニスト運動も同時に視野に入れているような気がしました。

「凡庸な悪人・アイヒマン」の任務遂行のための「凡庸な悪」だけをヒステリックに糾弾するだけでは、歴史において、またこれからも恐らく人間が繰り返し続けるであろう「宿命的・根源的な悪」を、哲学者として考えていることにはならない。
アーレントのアイヒマン裁判レポートは、そんな思いがテーマだったようです。

さて「思考停止」の問題を、今の日本に当てはめて考えようとすると、すぐに原発の問題が頭に浮かんできます。hanna2

実はこの映画を見る前に、「アフター福島にあって原発再稼働を叫んでいる連中は思考停止状態だ!」などという一種の仮説のようなものが頭にあったのですが、映画を見終わった今はそう簡単に原発反対論と結び付けて考える気はなくなっています。
賛成でも反対でも、「思考停止」は慎みたいと思います(少し真面目な総括)。

映画の中では哲学の師であり若いころの不倫相手だったハイデッガーも出てきますが、「ただの凡庸なクソオヤジ」という描かれ方でした。
フライブルグ大学の総長就任演説の場面がありましたが、そこでハイデッガーが使っている「情熱的思考」とかいう都合のいい概念こそ、アーレントの「思考停止」批判の格好のターゲットではないか、などという皮肉な見方もできなくはないと思います。

でも、久しぶりにいい映画を見ました。
悲劇ではありませんが、ウルウル状態でした。

上映前には、なんとあの「シェルブール」のデジタル・リメイク版が予告されていましたが、こちらは眉にしわを寄せて見るのではなく、ノスタルジー感に浸りつつ気楽に楽しめそうですな。

このころの、イタリア~フランス映画って好きなんだよね。銀幕っていう感じで。