少しお久のブログ。高崎・慈光通りのこと。


2日前に顧問をしている税理士の先生から、「高崎慈光通り」の話を聞いた。

何でも、しばらく前は高崎の中でも少しはおしゃれな感覚があったはずの一画が、今ではすっかり(↓↓↓)な状態で、何とか起死回生の一策を考えなくてはならない…とのこと。
高崎慈光通りは、駅西口の高島屋と地元資本の百貨店・スズランを結ぶ通りだが、確かにかつては流通業の雄だった2つの百貨店を結ぶ動線には多くの人通りがあったのだろうし、それなりに周辺の小売店や飲食店も繁盛していたのだろう。

閑話休題

「慈光通り」と聞くと、小生はある一人の女性を思い出さざるを得ない。
過ぎ去りし日々を思い出しながら、小生なりにこの地方都市の一画のことや低迷商店街のことなど、つらつら考えてみたい。

実は、小生の年代(今やアラカン一歩手前)の者にとって、「慈光通り」という名前にはあまりなじみがない。
僕らの世代では、田町通りとか中央銀座通りとか八軒道路などの名前はおなじみでも、慈光通りにはほとんど深い記憶も思い入れもないのだ。
遠い記憶をたどると、学校を出て働き始めた時分(つまり30年以上前)に、小生より10歳ほど下の後輩の可愛いらしい女の子(仮に841ちゃんと呼ぶことにする。少しご執心だったこともこの場で告白したりして・笑)の口から「慈光通り」という名前がよく出てきたように記憶している。
というわけで、小生にとっては慈光通りといえば841ちゃんなのだ。

彼女だって今やアラウンドフィフティ当たりのはずだが、その841ちゃんが高崎市内でブンブンやっていた(実態は不明)ころに慈光通りという名前は一気に市民権を得て定着したのだろう。
したがって、群馬県民にとっては泣く子も黙る存在のスズランはもっとずっと昔からあったのだから、高島屋はその時分に高崎店をオープンしたのだろう(軽くググってみましたが高崎高島屋のオープンした年はすぐ出てきませんでした)。

綾小路きみまろ風に「あれから40年!」。

百貨店という流通業態に昔日の魅力はなく、人を引き付ける力はなくなった。
慈光通りにも人の流れはなくなった。閑散としている。
小生は現在、この通りから徒歩3分ほどのあら町で仕事をしているが、たまに昼食の買い物にデイリーヤマザキにいくくらいしかこの一画には行くことがない。
圧倒的CPを誇っていた「マルケン」というインスタント蕎麦屋も、あっという間に店じまいしてしまったし、中学校の同級生が資生堂の化粧品ショップをやっているといっても小生男だし。
若いころもなじみのない通りだったが、今でもほとんど出かけることのない疎遠なストリートなのだ。

こんな状況の中で、近々西口の駅近くにイオングループの大規模モールが計画されているとのこと。
「何とかしなくては!」と焦る気持ちはよくわかります。

ではどうするか!?

今でも慈光通りには、多くのパスタ屋さんやイタ飯屋さんが残っているそうで、小麦王国・群馬の中のパスタの町・高崎の中心街として、何とかもう一度(↑↑↑)の流れを作れないか?、というのが高崎の活性化が趣旨のNPO法人の副会長さんでもある冒頭の税理士さんのプロポーザルなのです。

はてさて、やっぱり今ではFacebookとかを突破口にするしかないですかね~?

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