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不謹慎!かもしれません。杉本裕太君逃走事件の感想。

集団強姦事件などを犯した凶悪犯が、罪を素直に償うのではなくあろうことか逃亡。
1日4,000人、2日間で述べ10,000人の警察官が動員され、メンツをかけた必死の捜索の結果47時間後にようやく身柄を確保しやれやれ一件落着。

新年早々のマスコミをにぎわした杉本裕太君逃走事件のおおまかな顛末は以上。

確かに、地域社会の人々にとっては事件が解決し「やれやれ」というのが実感だろうし、小さなお子さんを持つ住民は「ホッとした」というのがいつわらざる心情だろう。
移り気マスコミもほとんど同じ論調で「身柄確保でこの話題は一件落着、次の事件を探せ!」という対応だ。

ここで小生生来のへそ曲がりがムクムクと頭をもたげてくる。

まず第一に、事件発生の第一報に感じたことは、一瞬のすきを盗んで靴も履かずに夜の街に紛れ込んでいった、その逃亡劇があまりにも見事だったという感想。しかし、この点についてこれ以上書くと「犯罪礼賛で不謹慎」と言われかねないのでここまで。

第二に、杉本君が身柄確保時に横浜の沢の中で、やはり裸足のまま冷たい川の水の中にいたという事実。
47時間の間、この寒空の下に身を隠していた杉本君の心情やいかばかりのものであったろう。
途中、バイクやら携帯やら着替えなどで友人の支援があっただろうが、まさに「この世のすべてを敵に回して」という切なく苦しい47時間であったに違いない。
これには、心から「頑張ったね、でももういいよ」という言葉をかけてあげたい。

そして第三に、市民社会の安定を乱す者に対して「決して許さない!」という検察・公権力側の情け容赦のない決意を感じた。1日4,000人、述べ10,000人という体制でメンツをかけて奔走した姿に、そのことはよく表れている。

今の世の中、いつの間にか「勝ち組」と「負け組」に社会の構成員がはっきり二分され、自暴自棄となった「負け組」の中から無差別の凶悪事件が発生する。もちろん「勝ち組」になるための知能・経済犯罪や「勝ち組」であり続けるための犯罪すれすれの子汚い行為もたくさんあるのだろうが。
秋葉原での暴走殺人事件をはじめ、日本全国のあちらこちらに「自分の力ではもうどうにもならない負のエネルギー」が満ち溢れていて何かをきっかけにして爆発する。
「造反有理」という言葉が昔流行ったが、もちろんそれらの凶悪事件は一般的な常識でその動機も心理も理解・共感することはできない。
そして、治安を維持する側は、その都度情け容赦のない対応を行い「予防のための厳罰化」を声高に叫ぶが、死を顧みず自暴自棄に走る犯罪を死刑などの「厳罰化」で抑制することはできない(この辺りは宮台さんが言っている通り)。

今回の逃亡劇も、「自分の人生なるもの、もうどうにもならないんだから罪に罪を重ねたって同じこと」という深い絶望がその根底にあるような気がしてならない。
そしてその杉本君を追いかけているのは、ささやかながらも定期的な報酬をお上からもらって安定した人生を送っている「勝ち組」側に属する10,000人の大集団だった。
「勝ち組」とは言えないまでも、少なくとも「体制保守派」に属する恵まれた人間たちなのだ。

「解決してよかった」という心情の反面、今回の事件からは秋葉原などの事件の時にはあまり感じなかった「社会の二極分化とその間の争闘」という側面を強く感じた。

もちろん、小生がこうしたことに対する処方箋や解決のためのアイデアなどを持っているわけではないが、昔なら街頭で石を投げたりデモをしたりすることで発散していた「もやもやとしたエネルギー」が、今や社会のあちこちにたまりすぎていて飽和に近づいているような気がしてならない。

少しお久のブログ。高崎・慈光通りのこと。

2日前に顧問をしている税理士の先生から、「高崎慈光通り」の話を聞いた。

何でも、しばらく前は高崎の中でも少しはおしゃれな感覚があったはずの一画が、今ではすっかり(↓↓↓)な状態で、何とか起死回生の一策を考えなくてはならない…とのこと。
高崎慈光通りは、駅西口の高島屋と地元資本の百貨店・スズランを結ぶ通りだが、確かにかつては流通業の雄だった2つの百貨店を結ぶ動線には多くの人通りがあったのだろうし、それなりに周辺の小売店や飲食店も繁盛していたのだろう。

閑話休題

「慈光通り」と聞くと、小生はある一人の女性を思い出さざるを得ない。
過ぎ去りし日々を思い出しながら、小生なりにこの地方都市の一画のことや低迷商店街のことなど、つらつら考えてみたい。

実は、小生の年代(今やアラカン一歩手前)の者にとって、「慈光通り」という名前にはあまりなじみがない。
僕らの世代では、田町通りとか中央銀座通りとか八軒道路などの名前はおなじみでも、慈光通りにはほとんど深い記憶も思い入れもないのだ。
遠い記憶をたどると、学校を出て働き始めた時分(つまり30年以上前)に、小生より10歳ほど下の後輩の可愛いらしい女の子(仮に841ちゃんと呼ぶことにする。少しご執心だったこともこの場で告白したりして・笑)の口から「慈光通り」という名前がよく出てきたように記憶している。
というわけで、小生にとっては慈光通りといえば841ちゃんなのだ。

彼女だって今やアラウンドフィフティ当たりのはずだが、その841ちゃんが高崎市内でブンブンやっていた(実態は不明)ころに慈光通りという名前は一気に市民権を得て定着したのだろう。
したがって、群馬県民にとっては泣く子も黙る存在のスズランはもっとずっと昔からあったのだから、高島屋はその時分に高崎店をオープンしたのだろう(軽くググってみましたが高崎高島屋のオープンした年はすぐ出てきませんでした)。

綾小路きみまろ風に「あれから40年!」。

百貨店という流通業態に昔日の魅力はなく、人を引き付ける力はなくなった。
慈光通りにも人の流れはなくなった。閑散としている。
小生は現在、この通りから徒歩3分ほどのあら町で仕事をしているが、たまに昼食の買い物にデイリーヤマザキにいくくらいしかこの一画には行くことがない。
圧倒的CPを誇っていた「マルケン」というインスタント蕎麦屋も、あっという間に店じまいしてしまったし、中学校の同級生が資生堂の化粧品ショップをやっているといっても小生男だし。
若いころもなじみのない通りだったが、今でもほとんど出かけることのない疎遠なストリートなのだ。

こんな状況の中で、近々西口の駅近くにイオングループの大規模モールが計画されているとのこと。
「何とかしなくては!」と焦る気持ちはよくわかります。

ではどうするか!?

今でも慈光通りには、多くのパスタ屋さんやイタ飯屋さんが残っているそうで、小麦王国・群馬の中のパスタの町・高崎の中心街として、何とかもう一度(↑↑↑)の流れを作れないか?、というのが高崎の活性化が趣旨のNPO法人の副会長さんでもある冒頭の税理士さんのプロポーザルなのです。

はてさて、やっぱり今ではFacebookとかを突破口にするしかないですかね~?